2022-08-08 読者は勝手な読み方をする
裸足のまま庭に水を撒いたら足が冷えたので、柔らかい毛布で足を包みながら少し読む。
入り口は好調だったのにだんだん文章が頭に入ってこなくなる。哲学的な言い回しや語彙を、そろそろ逃げずに深く理解しようと務めなければ。このままでは読むのに時間がかかるばかりだ。気晴らしに別の本を読む。
カチューシャはずっと私の側にいる。少しでも目を離すといなくなるかもしれないのが心配なのかもしれない。
ちゃんとご飯もあげているし、急にあなたを放ってどこかに行ってしまったりはしないからと言い聞かせているのに。
ながらりょうこさんから『ねこと私とドイッチュラント』第6巻が届いていた。階段をのぼる間も惜しくすぐに読み始めて、いやいや、まずはお礼を言わなければとお便りする。アプリですでに読んでいる話であるのに、はじめて読んだみたいに胸がいっぱいになる。
『砂漠が街に入りこんだ日』を原書(フランス語)で読みはじめている。
メトロで演説をしたり小冊子を売る人を頻繁に見かけるが、今日読んだ部分にはそういう人が登場した。乗客はずっと携帯から目もあげず完全に彼を無視し、冊子を差し出された男性はそれを無碍に突き返す。その人は結局警備員に取り押さえられ、冊子はメトロの床に散らばり、踏み荒らされる…
日本語で読めば30秒くらいで通り過ぎるシーンだが、文章を理解するのに10分15分かかるのでその間重たいシチュエーションの中に浸りきりになってることになる。冷たく重い沈黙、彼の目が涙に濡れてくるようす、まっさらな小冊子が足跡で塗りつぶされてゆく場面…だんだん自分の胸を踏みつけられているような気さえして一度浮上し、深呼吸をした。
本はページをめくると物語がひもとかれてゆくけれど、ここでは文章単位で同じことがおこっている。分からない単語をめくるたびにその文章の意味が開かれてゆく。
日本語で読んでいたらこんなには辛い気持ちにならなかっただろう。私だってメトロにそういう人が入ってきたら積極的に話を聞いたり冊子を買ったりしない、携帯やら本を眺めているふりをするに決まっているのだから。
あ、あの衝撃のオリンピック開会式から1年か…